1-6.ヒトにしかない妊娠中毒症

第1章 ヒトのお産:6.ヒトにしかない妊娠中毒症

 2本足で歩くヒトのお産が難しいことを説明しましたが、その他に人であることが原因で鳴る病期があります。それが妊娠性高血圧症(妊娠中毒症)です。

 妊娠すると、みなさんが手にされるのが母子手帳です。妊娠健康診断では、その母子手帳に記載されている項目をチェックします。その項目は全て妊娠中毒症関連と言い切れるほど、妊娠中毒症は妊娠にとって大変重要な病気と言えます。

 なぜ、日本足で歩行すると妊娠中毒症になるのか「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論法で説明します。

 子宮は、妊娠末期になるとお腹の中一杯になります。お腹一杯になった巨大な子宮の前面は、特に初めてのお産の方では、腹壁が硬くて伸びないので、お腹の内容物を後ろの脊椎に押し付けることになります。硬い腹壁と後ろには脊柱があります。

 子宮と脊椎に挟まれた大静脈と大動脈は圧迫されますので、腎臓を流れる血液も減少してきます。このことにより、腎臓の働きが悪くなり、尿の中に蛋白が漏れるようになります。また、高血圧の要因が加われば容易に高血圧症となるのです。大静脈の圧迫により、下肢の静脈を流れていた血液は、心臓になかなか戻らなくなり、浮腫もくるようになります。

 妊婦が高血圧症になると、赤ちゃんに充分な栄養と酸素が行かなくなり、発育が止まったり、お母さんがけいれんしたり、大出血したりと大変重症な病気になっていきます。

 これに比べて、四足歩行動物は、脊柱がちょうど天秤棒の役目を果たし、両端をかついで子宮をぶら下げたことになりますので、子宮と脊柱の間に隙間ができ、腹部大動脈は圧迫されません。腎臓の血流は保たれ、機能は失われることがないので、妊娠中毒症は無いということになります。

 このように、2本足で歩くヒトのお産は、他の動物とは比較できない難しいヨウ素を多く持っていると言えるのです。

1-5.ヒトのお産は難しい

第1章 ヒトのお産:5.ヒトのお産は難しい

 私たち人間に一番近い霊長類で、お産を比較してみます。

 ヒトの赤ちゃんは、その他の霊長類とは比べられないほど骨盤の入口の大きさに比べ頭が大きいことがわかります。骨盤と赤ちゃんの頭の関係は、動物の種類で違うのですが、イヌなど霊長類以外の四足歩行動物では、もっと頭が小さくなります。赤ちゃんの頭が大きければお産が難しいことは容易に想像できますね。

 実際人間の場合、初めて赤ちゃんを生むときは、陣痛が開始して産まれるまで、平均して14時間もかかるのです。

 そういう意味では、どんなに安産の方でも、ヒトのお産はなかなか難しいと言えます。

 また、ヒトは骨盤の形を比較しても、お産に適した形をしておりません。

 2本足で立つヒトの場合、支えられているものが脊柱から離れるだけ脊柱への負担が大きくなります。

 そこで、内蔵が脊柱にかかる負担を軽くしようとして、内臓は体の中心にある骨盤に集まってまいります。

 そのために、上半身の体重と内臓のすべての重さが骨盤にかかるので、それを回避するために、ヒトの骨盤は横に広く、また、浅くなりました。

 また、骨盤誘導線は後方に曲がって、重力のかかり方を減少させています。

 大きな頭を出すためには、骨盤の出口は広い方が有利です。

 しかし、それでは上半身と内蔵の重みを支えられないので、出口は狭く、前方に屈曲していることも、ヒトのお産が難しくなった原因の一つです。

 また、骨盤の大きさに比べて赤ちゃんの頭が大きいこと、ヒトの子宮の入口が、大変固く出来ていることが、さらに、お産を難しくしています。

 ヒトは、立っているときも、座っているときも、脊柱は直立していますので、子宮の入口は、ほとんど下方にあることになります。

 そのため、赤ちゃんの重力は、直接子宮の入口にかかってしまいます。妊娠中に、赤ちゃんが落ちないように、ヒトの子宮の入口はとても硬くなくてはなりません。一方、陣痛が始まった時は、今度は、子宮の入口はやわらかくなって速やかに開大しなければお産が進行いたしません。ヒトでは、その子宮の入口が硬いので子宮口が結に開かないという難題が待ち構えているのです。

 しかし、神様は、そんなヒトを可哀想に思われたのか、2〜3の工夫をしてくださいました。その一つが、赤ちゃんの頭蓋が変形して、お母さんの狭い骨盤の中を少しでも通過しやすくできる仕組みです。頭蓋を形成する頭頂骨、側頭骨は隙間が開いていて、お産のときはお互いの褒めが重なり合って、骨盤に合わせて変形することが出来っるのです。(骨重積)もっとも、頭蓋骨の形成が未熟ということは、体全タモヒトでは未熟なままお産をするということを意味いたします。イヌの赤ちゃんは、産まれると間もなく歩くことが出来ますが、ヒトでは、1年以上もかからないと歩くことが出来ません。

 ヒトの赤ちゃんが、手をかけないと育たないのは、お産を少しでも軽くしなければならない仕組みが原因だということがわかります。

 一方、イヌや牛の場合は、4本足で立っていますので、子宮の入口が横にあります。

 イヌの赤ちゃんの重力は、下方に向い、子宮の入口を圧迫しません。したがって、子宮の入口は柔らかくても、早産などの心配がなく、お産のときは簡単に開いてお産が楽に終了します。さらに、骨盤の誘導線と子宮の長軸が平行になっているので、赤ちゃんの回旋は全く問題とならず、どんな回旋をしてもお産はスムーズに進行します

 また、骨盤に比べて赤ちゃんの頭が大変小さいので、これもお産が楽な要因となっています。

 また、敵が多いので、なかなか成獣にまで育ちません。そこで一度に多くの赤ちゃんを産むのです。一つ一つは小さくなりますが、子宮の中で頭も体も充分発育するのを待ってからお産を始めることが出来るのです。

1-4.ヒトだけが2本足で立って歩く

第1章 ヒトのお産:4.ヒトだけが2本足で立って歩く

 サルとヒトのお産を比べる前に、ヒトの動物学的な特徴をますお話ししましょう。

 脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科に分類されるヒトは、「下肢で直立歩行し、上肢は手の機能を果たすようになり、地上生活を営み、道具を使用し、さらに大脳の著しい発達によって、言語、思考、理性の能力、また、文化的想像の能力を有するに至ったもの」と辞書にあります。

 すなわち、直立歩行できることがその他の動物との大きな違いなのです。

生まれたばかりで歩けないヒトの赤ちゃんには、土踏まずがありません。ヒトに近いゴリラやサルも2本足で歩くことはできますが、土踏まずはなく、通常は前傾姿勢で四足歩行をしている動物です。

 ヒトの赤ちゃんは、歩行を開始すると土踏まずが形成されてくるのも、ヒトが直立歩行する証拠の一つです。同じ霊長目に属するゴリラとヒトの姿勢を比較してみますと、ヒトは同一鉛直線状に頭蓋、脊柱、下肢が並んでいるのがよくわかります。

 一本の棒の上に、頭が載っているのと同じですから、頭のバランスを保つのに大きな力を必要としません。頭を引き上げ、顔を前方に向かわせるための筋肉が少なくてすみます。

 ヒトは、このようにして脳の重量が次第に増加し、知能を大いに発達させることが出来るようになったのです。一方、頭が脊椎の前方にある他の脊椎動物では、頭を引き上げ、顔を前に向けるためには、強力な筋肉が必要になってきます。しかし、筋肉の増強には限度がありますので、これら四足歩行動物は、頭蓋を大きくすることは出来ませんでした。

 頭蓋が大きくなり脳が発達した恩恵で、人類は幸せになることができたのですが、お産をして、次の世代を育てなければならない女性には、大変苦痛を与える結果となってしましました。

 

1-3.ヒトのお産

第1章 ヒトのお産:3.ヒトのお産

 私たちヒトの先祖である「クロマニヨン人」や「ネアンエデルタール人」も、このサルのように、独りで座ってお産をしていたのではないかと考えられます。

 地球が、約50億年前にできたとき、最初に海ができました。海の中に住む生き物が次々に進化して、ついには、地上に住むようになりました。

 その中で、もっとも進化した生物が、脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科に分類される人間で学問的にはヒトと呼ばれます。辞典によれば、「脊椎動物門哺乳綱は、一般的に哺乳動物といいますが、哺乳動物は、血液が暖かく、肺によって呼吸します。基本的には胎生で、雌は、皮膚線の変化した乳腺から乳を分泌し仔を哺育します。皮膚には毛またはその喧嘩物があり、大脳は発達し複雑な行動をとる」とあります。

 ですから、ヒトのお産も基本的には哺乳動物と同じと考えてよいのです。しかし、ヒトは、

①サルのような格好で座るお産はいたしません。

②通常1回のお産で産むのは一人です。

③お産は夜中だけとは限りません。

④産まれるとお母さんは抱っこしますが、短時間で、子供は自分のお母さんにさばっておくことはできません。

⑤生まれてすぐに歩けません。

⑥お母さんが赤ちゃんをなめることはありません。

など、他の動物とは違ったお産をします。またお産そのものも、サルのような座り方ですることは、実はそれほどたやすいことではないのです。

1-2.サルのお産

第1章 ヒトのお産:2.サルのお産

 私は学生の時、京都大学の今西錦司教授から文化人類学を学びました。先生は、「地球上に存在するすべての生物は、その周囲の環境に合わせて棲み分ける」という理論を講義されました。

 当時、大変な感銘を受けた記憶があります。

 いわゆる先進国が、今日のような少産少子化の時代を迎えるようになりますと、先生のお話が、人類への辛らつな警告であったのではないかと思っています。

 先生の棲み分け理論で行きますと、日本では、お産が増えることは当分ないような予感がいたします。

 また、人間に一番近いサルのお産の話も、今西先生から聞きました。最近、今西先生のお弟子で、京都大学霊長類研究所教授であり、また、産婦人科でもある大島先生が書かれた文章を目にしました。

 大変よくまとめてありましたので、人間のお産を語る前に、その文章をお借りして、サルのお産をご紹介いたします。

 

【ニッポンザルのお産】

埼玉県長瀞公園で、2人のさいたま大学生が8mmカメラで撮影した記録。『通常動物は、的に襲われない夜間にお産を済ませてしまいますが、その時は、幸いなことに夕方から出産が始まった。1頭のメス猿が座り、両手を水平にあげて、体の上下運動を始めた。その動きは1~2分おきであった。手は交互に頻繁に出口部に持っていく。開口の具合や児の進行をチェックしているかに見える。出口部が膨らみ、それは、なんと赤ん坊ザルの顔面である。顔面位でも、猿には問題にならない。四足歩行の産道は真っ直ぐである。

 手による、出口部のチェックが頻繁になる。やがて児の頭が出る。

 母サルは、すばやく赤ん坊の首をつかんで、自分の前胸部に運ぶ、ねれた赤ん坊の体を、隅々までなめ回す。

 なにかにとりつかれたように、その動きは激しい。

やがて、胎盤を引き出す。

 西日はさらに傾き、周囲はなにごともなかったように、夜のとばりに閉ざされていく』

 ここで、フィルムは終わるのである。

大島教授は、サルのお産の特徴として

①座産である。

②お産は夜中に終了する。

③母ザルは生まれた子をすぐ抱き、児ザルも母ザルの体毛をつかんでずり落ちることはない。

④生まれた児を必死になめまくる。

とまとめておられます。

 人間のお産を説明する前に、ずいぶん長い前置きが続きましたが、少し記憶しておいてください。

1-1.イヌのお産にあやかりたい

 

第1章 ヒトのお産:1.イヌのお産にあやかりたい

 私の病院では、どこの病院にでも見られるような紙のカルテは、まったくありません。
 診療は、すべて電子カルテを使っています。
 医師は日本語で、症状、所見の記入、おくすりの処方箋、注射箋の発行、検査の指示などを、患者さんの目の前で、パソコンに入力します。
 患者さんが納得された上ですべての診療が行われるようにしております。
 もちろん要望があればカルテをお見せしたり、印刷してお渡しすることも可能です。最近厚生労働省も、そのような方針を打ち出したようです。
 コンピューターの中には、薬の情報集、患者さん向けの説明資料、医学辞書など診療に必要なほとんどの資料が入っています。机の上にあるのは、液晶ディスプレーとキーボードと電話だけです。
 電子カルテの中では、それぞれの妊婦さんの予定日をもとにした妊娠カレンダーをつくることができますので、健診の時に差し上げています。
 そのカレンダー妊娠5ヶ月の欄には「犬の日」が、イラストで示されています。「犬の日」に着帯する週間hあ、いつから始まったのかよくわかってはいません。欧米では行われていないのを理由に、日本でも着帯は不要とする考えもあります。
 しかし、暑い夏、薄着ですごす妊婦には、クーラーは冷えすぎています。一方、寒い冬、セントラルヒーティングの発達していない日本では、腹帯には妊婦のお腹を冷やさない効果があるのです。お腹を冷やすと、子宮が収縮することがわかっているので、狭い子宮の中で赤ちゃんは大変です。
 また、私達医師や妊婦さんご本人がいくら努力しても、妊婦に伴う合併症が発症することもあれば、障害を持った赤ちゃんが産まれることもあ

ります。安産を願う気持ちはみんな同じですが、人間には、この運命をどうすることも出来ません。最終的には、神様にお願いするほかなさそうです。
 日頃行くことのない神社にお参りして、イヌにあやかって安産であいますよう頭を垂れて祈り、着帯する風習は、宮中に限らず今でもなお大切にして良いのではないでしょうか。
 なぜ安産の代表とされるイヌのお産は楽なのでしょうか。少し説明いたしましょう。
 イヌのように、4本足で歩く哺乳動物を、四足(しそく)歩行動物と言います。2本足で歩くヒト以外の哺乳動物は、すべてこの四足歩行動物に分類されます。これらの動物は、野生で生活しているので、当然一人でお産をしなければなりません。
 いったん始まると身動きができないお産の最中に、てきから襲われる危険性は非常に高くなります。そこで彼らはお産をなるべく短時間に済まさなければなりません。

 ヒト以外の動物では、お産が楽に速やかに進むような仕組みが出来上がっているのですね。