第4章 座位分娩台スペースメール
1.初代座位分娩台スペースメール
1980年代、アメリカ合衆国で座位分娩台の特許を取得していたのは、センチュリー社製分娩椅子、ボーニング社の分娩ベッド、私どもの作ったスペースメールでした。
さて、ドイツのデュッセルドルフでは、毎年11月末大規模な総合医療学会(メディカ)が開催されています。
私と妻は、これまで何度も産科いたしましたが、ここでも1984年以降に座位分娩台がてんじされていたのは2種類にすぎません。
デザインに、それほどの変化がないものの、分娩台の色は、最近大変カラフルになったので楽しくなりました。真っ赤とか、鮮やかな緑には驚いてしまいます。年配の方は、敬遠されるかもしれませんが、最近の出産現場を見ておりますと、案外日本でも多くの産婦さんに受け入れられるかもしれません。一度試してみたいと思います。
1984年、日本で初めての座位分娩台を造った時、ピンクのレザーを主張した私に対して、もっとも反対したのは、メーカーという時代でしたので、わずか10年程で隔世の感がいたします。
スペースメールを発表後、しばらくの間は、産婦人科の先生方は正直なところ、ピンク色を導入するんいためらいを感じられたようです。しかし、産婦さんのニーズの多様性に応えられたのでしょう。
分娩台を沙汰らしく購入された先生の多くは、ほとんど白ではなくピンクを選択されました。シートもやわらかくなりクッション材の向上で移住性が改善されました。