2-2.人間のお産の歴史

第2章 人間のお産:2.人間のお産の歴史

 動物は、誰の助けも借りず自分ひとりで、自然の摂理に従い、各々の種に応じた方法でお産をします。

 動物のお産は一般的には暗くなって始まり、夜中のうちに済んでしまいます。それは、日中は明るいので敵に見つかりやすく、襲われる可能性があるからです。

 お産を軽く済ませるために、人間以外の四足歩行動物は、骨盤の大きさに比べて赤ちゃんの頭が大変小さくできています。

 また、生まれた途端に歩くことが可能でなければ、敵に襲われる可能性から逃げることが出来ません。お母さんのお腹の中で、赤ちゃんは充分に生育をすませて出てきます。

 一方、人間も太古の昔から本能にしたがい、それぞれの経験の中で、さまざまな格好をしてお産をしていたと思われます。古代の芸術品、出土品、古代文書の中にもお産に関すr者が多く見られます。その後も各民族、地方によってお産の方法は全く違っていたと想像されますが、ヨーロッパでは早くから、分娩椅子によるお産も行われていました。しかし、分娩椅子は分娩が楽に経過するようにと考えられたものではありません。高貴な人が羞恥心を逃れるためのものであったので、解除する複数の人間が必要であり、お産が長時間になれば、産婦にも介助者にも大変つらい姿勢を強いられました。

 日本では、第二次大戦以前は、自宅の畳に敷いた布団の上で、産婆さんが介助していました。横になってするお産、あるいは重ねた布団に体を預けた格好でお産が行われていたものと思われます。

 18世紀、フランスの王室産科医モリソーが、それまでの分娩椅子に変わり、ベッドによるお産を提唱したと言われています。

 当時のフランスは巨大な力を持っており、他の国に対しても社会的影響が強いのでそれ以降、大体世界中で横になってのお産が広まったと言われて居ます。

 1824年、アメリカでウイリアムデービスは、横臥背臀足位と呼ばれる分娩体位を提唱し、以後世界各国においてこのスタイルが主流を占めることになりました。

 明治になって、時の日本政府は急速に外国の文化を導入しましたので、日本でも横臥砕石位が広まってきました。

 しかし、1979年カルディロ・バルシアは、横臥背臀足位が人間のお産としては不自然で、解除する人のためにあるとし、座位分娩の有用性を発表しました。

 しかし、その当時の分娩台は道具として、座位分娩をすることに適していなかったので、しゃがみ産などが提唱されたのだと思います。

 1981年、センチュリー社の分娩椅子が日本でも輸入され、わずかな施設で座位分娩が試みられましたが、使用に不自由なためか、すぐ製造中止になりました。

 1979年、私は産婦人科医院を開業しましたが、それ以来、お産を本当に考えるようになりました。

 1984年、私どもの座位分娩台スペースメールが誕生し、日本の座位分娩が始まりましたが、それは、ある日、さかごのお産をしている時に、「なぜ正面から介助するの?」というさりげない妻の言葉からでした。

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