2-1.道具を使う人間

第2章 人間のお産:1.道具を使う人間

 

日本人の平均寿命は、いまや80才になりました。

厚生労働省発表の文章の中に、0才の平均寿命というのがあります、

 

年次

1891~1898

明治24~31 42.8 44.30

1921~1925

大正10~14 42.06 43.20

1925~1936

昭和10~11 46.92

49.63

1965

昭和40 67.74

72.92

1995

平成7 76.36

82.84

1999

平成11 77.10 83.99
2000 平成12 77.64

84.62

 

  明治の半ば、1900年頃と言えば、日本も諸外国に対して開国し、江戸時代から一気に近代化して、生活が全国的にもかなり改善されてきたころです。

 そのころ日本人の平均余命はわずか43才だったのです。昭和11年ころにようやく人生50年の時代を迎えます。

第二次大戦後は、生活が急速に豊かになり、昭和33年、私が中学生になった時、皇太子(現上皇)の結婚式をみたいという母の希望で、我が家にもようやく白黒テレビが購入されました。

 そして、昭和40年私が大学に入った頃は世の中にはものがあふれるようになり、もちろん私は学生でしたのでお金はありませんでしたが、不自由さはまったく感じておりませんでした。

 わずか100年間で平均寿命はバイに延びたわけで、それまでの人間の長い歴史からいうと、あっという間の出来事で驚異的なことです。

 人間が2本足で歩行するようになり、垂直の脊柱の上に思う頭蓋骨をのせることができましたので、他の四足歩行動物に比べ飛躍的に知能が発育しましたが、近代になって、一気に花が開いたと言えるでしょう。

 頭蓋骨がおおきくなることは、すなわち脳が大きいことを意味します。

 大きな脳によって知能は大いに発達しました。

 歩行に不要になった前肢は手と呼ばれ、非常に細かな作業が可能となり、次々と道具を発明します。

 ヒトから人間への進化とでも言えましょうか。

 このことは、NHKテレビで放映された、類人猿ボノボの研究でも明らかです。

 ボノボはアフリカ中央部に住む類人猿で、チンパンジーによく似ていますが、大きな違いは、2本足でかなりの時間生活が出来るということです。

 彼らは、人間の言葉を理解し、ハサミなどの道具を使うことができます。

 最近の研究では、人間の心理を理解するともいわれています。このように2本足で立って歩くことが人間らしさの出発と言えるのです。

 道具を使い人間の暮らしは大いに楽になっていきました。

 イギリスに起こった産業革命や第二次大戦後の世界的な目覚ましい技術革新。植民地は解消され、人種、民族間に大きな格差があるものの、一応世界中に文化、文明の恩恵が行き渡ることが可能になったわけです。

 人間は計り知れない富と文化の恩恵を手に入れることができました。

 しかし、本当に残念なことに、地球環境を破壊したことと、ことお産に関しては、まったくと言っていいほど進歩をしていません。むしろ都市型難産といわれるように、難しいお産が多くなりました。

 近年の電子機器の発達には目覚ましいものがありますが、なぜか、人間は古来よりお産のための良い道具を手にすることができませんでした。

 私は、お産を女性の側だけに押し付け、個人的負担に任されていたのが、その大きな理由だと思います。

 日本でも近年までは、側女(そばめ)とかいう方法で、一夫多妻という状態が許されておりました。経済的、社会的地位のある人は、多くの女性に子供を産ませることにより、自分の子孫の継続が計らえたわけです。7

 明治32年に出生100000に対する妊産婦死亡率は449.9と非常に高い数字を示しています。さらにもっと昔は、将軍の妻という当時最高の医療を受けることができた人たちでも、お産で母体の命が奪われることはごくありふれたことでした。

 また、現在では考えられないようなことが、はしか、みずぼうそうなどの病気が、多くの子供の命を奪いました。

 種の保存という動物学的理由では、一夫多妻に必然性があったといえます。

 しかし、政治にかかわる立場の人には、今でもそうですが、個々の女性がどんなお産をしようが、そのことに関心があったとは考えられません。やむなく、産婦は紐につかまる、しゃがみkんでお産をする、布団に横たわってお産をする、椅子に座ってお産をするなど、民族や地方によって、それぞれ工夫して行っていたと考えられます。

 私どもが考案したスペースメールが誕生し、日本の在分娩が始まりました。

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